
最も有名な音楽家と言っても過言ではないベートーヴェン。
「音楽室にあるしかめっ面の肖像画」のイメージが強いですが、実際はどんな人だったのでしょうか?
そこで、この記事では、ベートーヴェンの偉大な功績やエピソード、代表曲をまとめてみました。
ベートーヴェンについて詳しく知りたい方や、授業で話せるネタをお探しの方のお役に立てれば幸いです。
目次
ベートーヴェンはどんな人?
まずは、ベートーヴェンについて簡単にご紹介します。
古典派音楽とは、西洋における1750年頃から1820年代までの音楽のこと。
ベートーヴェンは、ハイドンやモーツァルトと並び、この時代を代表する作曲家として知られています。
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これだけではベートーヴェンのすごさが分からないですよね…
というわけで、ここからはベートーヴェンの偉大な功績をご紹介します。
ベートーヴェンの偉大な功績3つ
①数々の名曲を生み出した
現代には様々な音楽がありますが、ほんの少し流行を過ぎてしまうと、「古い音楽」「昔流行った曲」と思われがち。
ですが、ベートーヴェンの曲は、死後200年近く経ってもなお、演奏され続け、色あせることがありません。
長い間ずっと愛され続ける曲を多く生み出したベートーヴェンは、やはり偉大なのです。
②音楽を「芸術」に変えた
クラシック音楽のコンサートは、黙って静かに聴かなければいけないという暗黙のルールのようなものがありますよね。
ですが、ベートーヴェンが活躍する以前は、そうでもなかったのです。
というのも、昔は、音楽は貴族のための「娯楽」の一つであり、パーティーのBGMや余興程度の存在でした。
ゆえに、演奏中におしゃべりしたり食事をしたりというのが当たり前。
ところが、ベートーヴェンは「演奏中は黙って俺の音楽を聴け」と、現代のコンサートにおけるルールを定着させたのです。
これは、音楽が「娯楽」から「芸術」に変わったことを表しています。
②音楽家の働き方改革を成し遂げた
前述のように、音楽は貴族のための「娯楽」だったので、音楽家たちの働き方も、貴族に雇われ、依頼通りに作曲するのが一般的でした。
ですが、ベートーヴェンは「自分の作りたい曲をつくる!」という信念のもと、フリーの音楽家として活躍しました。


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ベートーヴェンが「楽聖」と呼ばれるのはなぜ?
前述の通り、ベートーヴェンは名曲を生み出しただけでなく、音楽を「芸術」へと昇華させ、音楽家の働き方まで変えてしまいました。
彼の存在は、後世の音楽家たちにも影響を及ぼし、次第に誰もが「自分の作りたい芸術作品」を追求するようになります。
音楽家たちの意識や働き方、音楽そのものの価値観を変えたことから、聖なる音楽家、つまり「楽聖」と呼ばれるようになりました。
自分の作りたい音楽を追求するのはロマン派音楽の特徴なので、ベートーヴェンはキャリア前半は古典派、後半はロマン派の作曲家だと言えますね。
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ベートーヴェンにまつわるエピソード6つ
①第2のモーツァルトに…!
「神童」と称される天才音楽家モーツァルトは、幼い頃からヨーロッパ各地で演奏活動を行っていました。
そんな彼の噂を耳にしたベートーヴェンの父は「息子を第2のモーツァルトにしてやる!」と幼い頃から厳しい音楽教育を施していたそうです。
その甲斐もあって、ベートーヴェンも10代の頃から音楽家として一家の家計を支えるようになりましたが、モーツァルトほどの人気は得られませんでした。
それでも、彼は音楽家として活躍することを夢見て、両親を亡くした後は弟2人を抱え、音楽の都ウィーンへ移り住むようになります。
このとき、ベートーヴェンは22歳でした。
②引っ越し魔!
ウィーンへ移り住んで以来、ベートーヴェンは79回も引っ越しをしたと言われています。
その理由は、生活環境を変えて新しい音楽を創造するため。
ですが、他にも掃除をするのが苦手、ご近所トラブルを頻繁に起こしていたから引っ越しをせざるを得なかったという説もあります。

③難聴の原因はワインの飲みすぎ?
ベートーヴェンは、作曲家の全盛期から難聴に悩まされていました。
そんな状態でも多くの名曲を作り上げた彼は、やはりすごい人ですが、実は難聴の原因はワインのせいなのでは?という説があります。
というのも、当時のワインには鉛の化合物が入っていて、決して無害ではなかったとか。
ですが、ベートーヴェンは1日に3ℓも飲むほどの、大のワイン好き。
難聴の原因は諸説ありますが、最も有力なのはワインの飲みすぎによる鉛中毒だそうです。

④「遺書」は弱い自分そのもの!
難聴に悩まされ、創作活動が行き詰まったとき、ベートーヴェンは「遺書」を書きました。
ですが、それを誰かに届けることも、ましてや自分で命を絶つことも彼にはできませんでした。
そこで彼は、「遺書」を弱い自分そのものだとし、鍵のかかる箱にしまったそうです。
そうして弱い自分と決別したことで、負の感情から抜け出し、また創作活動に打ち込むことが出来るようになりました。
この「遺書」は、それが書かれた地名にちなんで、「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれています。
⑤葬儀には2万人が参列!
1827年、56歳で亡くなったベートーヴェンの葬儀には、およそ2万人もの市民が参列したと言われています。
これは、当時のウィーン市民の14人に1人が参列していた計算になるそうです。
肖像画のせいなのか、ベートーヴェンは近寄りがたいイメージがありますが、生前から多くの人に愛され、尊敬されていたのですね。
ちなみに、参列者の中には、翌年亡くなったシューベルトもいました。
⑥しかめっ面の原因は朝食?
ベートーヴェンと言えば、肖像画のようなしかめっ面を想像する方が多いと思いますが、彼も年中怒っていたわけではありません。
ただちょっと、肖像画を描いてもらう当日の朝食に不満があっただけなのです。
その日の朝食はベートーヴェンの大好物であるマカロニチーズ!
にもかかわらず、お手伝いさんが焦がしたから、それはもう怒り狂って…いつまで経っても機嫌が直らず、結局そのままの顔で肖像画が描かれてしまったのです。
確かにマカロニチーズは美味しいけれど、そこまで怒らなくても…ね。
ベートーヴェンの代表曲3つ
数多くの名曲から、代表曲を選ぶのは至難の業ですが、ここでは誰もが聴いたことのある有名な曲を3つピックアップしました。
交響曲第5番 ハ短調(運命)
「ジャジャジャジャーン」という冒頭のメロディを聴いたことがない人はいないのではないでしょうか?
日本では「運命」という名で知られ、様々な場面で演奏される名曲です。
交響曲第9番 ニ短調 合唱付き
日本では「第九」と呼ばれる、年末にお馴染みの交響曲。
特に第4楽章(「歓喜の歌」)は有名で、交響曲に合唱を統合した非常に画期的な曲です。
エリーゼのために
ピアノソナタなど有名なピアノ曲は数多くありますが、今回は「エリーゼのために」をピックアップしました。
冒頭のフレーズは、ピアノを弾いたことのある方なら(ない方でも)聴いたことがあると思います。

まとめ ベートーヴェンはやっぱり偉大!
この記事ではベートーヴェンの功績やエピソード、代表曲をご紹介しました。
ベートーヴェンという音楽家の偉大さ、そして人間味を感じていただけたのではないでしょうか。